6/30/2008

ボルネオの花

KKに来て早や一ヶ月以上が過ぎました。その間、デジカメで撮った画像の中から「花」の写真の一部を取り出してみました。

イッペイの花。KKのダウンタウン、API-APIセンター近くの街路樹で、淡いピンクが空に溶けて見えました。日本人の名前みたいですが、南米原産で沖縄でも街路で開花します。イッペー、イペー、など様々に呼ばれています。

オオバナサルスベリの色違い2種です。街路の分離帯の植栽で、見応えのある満開状態です。


イエローアマランダ。和名はアリケカズラ。半蔓性の低木で熱帯アメリカ原産。

プルメリアです。和名はインドソケイ、キョウチクトウ科。花色は白、黄、ピンク、赤など様々。ハワイではお祝いや歓迎のレイをこの花で作ります。

名称不詳。Grace Villeの庭、椰子の根元の芝に混じって咲いています。葉や花の形状から、明らかにマメ科ですね。

アメリカデイゴです。アメリカという名前がついていますが、原産地は東南アジア。沖縄の県花になっていて、琉球列島では普通に見られます。本州でも、耐寒対策を施せば越冬可能。

ササガニユリです。ホテルの植栽で見かけました。ヒガンバナ科で西インド諸島原産。白く清純な感じな花に似合わず、英名はSpider Lily。白人は情緒がないですね・・単に形だけを捉えるんですかねー

バナナ(野生種)。キナバルパークのボタニカルガーデンにありました。野生バナナの花で、実がなっても種子ばかりで食べられないそうです。

オオハマゴボウです。沖縄ではユウナと呼ばれていて、街路や海岸などで良く見かけます。アオイ科で学名はHibiscus tiliaceus。学名からはハイビスカスの仲間ですね。朝、花開く時は明るい黄色。昼頃には赤色に染まります。そして夕方、この写真の様なオレンジ色に変わり萎んでしまう一日花。夕日が奇麗で有名な、タンジュン・アルの浜辺で撮影しました。夕日を見に行ったとき撮ったので、この花も、間もなく日没と時を同じくしてしぼみます。

6/29/2008

サンダカンの旅(結び)

陸路往復740km。3泊4日のサンダカン、あっと言う間の旅でした。
空や高速バスでは、たいした距離ではあませんね。しかし、ひと昔前のジャングル越えは困難を極めたはずです。2500名余りのイギリス軍捕虜が、日本軍によりサンダカンからラナウに強制移動させられたのは、先の大戦末期。生きてたどり着けたのは僅か数名だったそうです。

ここサバ州には、ジャングルで隔てられた約40の異なった民族が、其々の伝統文化を今も培っているそうです。コタキナバルとサンダカンの間に横たわる、北ボルネオのジャングルは文化を隔絶するに充分の広さだったのでしょう。今回の小旅行でも、そんな何かの違いを感じる旅でもありました。

結びとして、サンダカンの旅、帰路を簡略に綴ります。
今回泊まった、ease boutique hotelのバックサイドドア(海岸に出る)です。
インターネットはWiFiで無料アクセスOKでした。各階に2個づつの親局があり部屋で1Mbpsの高速インターネットが使えたのが、何より良かったですね。

室内です。あまり広くはなかったけど全てに清潔でした。Seaビューの部屋からはスールー海が広がっていた。フィリピンとの国境が直ぐそこだけに、海軍の艦艇が忙しく動き回っていました。

バスタブはありませんが、シャワールームはゆったりして清潔でした。

壁にSAMSUNGのLCDテレビ・・英語はBBC一局、あとマレー語の放送のみ・・

短く刈られた一Qのアタマ・・6RM…現金払い!^^

さすがハイテクホテル、と思ったサインボード。あなたのコメントの良し悪しに関わらずフィードバックする目的のため、下記のSMS番号を用意しました。つまり、如何なるご意見でも、下記の番号にSMSをお願いします。よく手書きのお願いは見ますけど・・SMSとは、ご時世ですね!

ついでにもう一つ・・ルームキーパーの本名と顔写真。いつもニコニコ、4日間お世話になりましたー!(個人情報保護/本名はボカシ入れました)

チェックアウトしてから、バスの出発まで時間があったので、セントラルマーケットに行きました。

ま~ホンとに、いろいろありますわー。売り手も買い手も活き活きしてます。

魚売り場も凄かった。これはサメですが、キャットフィッシュ、イカ、マグロ、カツオ、ブダイなどなど・・どこの売り場も山積み・・

これは売り物でなさそう・・おつかれ~お兄ちゃんがスヤスヤと・・・。

果物売り場で買ったモンキーバナナ、これ全部で1RM=33円でした。

バナナの写真のレストランでランチを食べてから・・バス停に向かいました。
フロントにTAXIを頼むと、ホテルの車で送ってあげる、、って、うれしいな(^^)
バス停といっても・・ただの広場、しかも未舗装。それでも何社かのバスが出発待機中。来たときと同じ、黄色のSIDAに乗って帰ります。

13:30分、定刻発でした。ほぼ満席です。途中、適当に止まって人を乗せます。また適当に止まって降ろします。満員になってから乗って来た若者たちは、運転席の横や昇り口付近で床に座って・・・で、平然とバスは進む。ところどころ、ジャングルの隙間に見える普通の住居です。

KKまであと3分の一、RANAUの町はずれでトイレ休憩。黄色のSIDAは良く目立ちますねー!向こうからスコールが接近中ですネ~!!

途中休憩のレストラン、名前は“DESA VIEW=田舎の景色”です。食べ物なら何でもあります。駐車場の傍らに地元産の野菜や果物売店が並んでいますが、殆ど誰も何も買っていません。

出発間際になって、猛烈スコール来襲!バスまでの20mほども何ともなりません。ドライバーがレストラン側にバスを寄せてくれました。

ちょっと走ったところで雨が止んで、、、キナバル山が姿を現した。なんと、キレイな虹が霊峰を借景に、2本も立ちました。虹っていつ見ても嬉しくなりますね。

追記:ホテルの宿泊料金総額以下の通りでした。
(一泊・110RMX3)+(サービスチャージ・11RMX3)+(TAX・5.5RMX3)の合計379.5RM。3日分の宿泊代金は日本円で12520円。デポジットを含み450RM支払ってあったので、70.5RMが返ってきました。

6/28/2008

第2回クイズの発表です

大変お待たせしました。6月21日の第2回クイズの発表をさせて頂きます。

①第一問:
CDのタイトルですが、A歯さんの推理はなかなかなモノですが、ちょっと考えすぎかな~説得にやや無理が・・あるかなー?!yamatyanさんが近そうですが…これもちょっと~?いづれにしても、出題者が正解を持ってませんので・・^^;皆さんのGOODアイデアをあてにした「もともと無理のある」出題でした。ということで、この質問については正解者なしと言う事で・・ご了承ください。
出題者としては「東洋唄のメドレー」と推定しましたが、、、?
ホトンはワリカマセン…^^;

②第二問:
物価当てクイズです。当日のレシートを下記に転載します。合計の金額は51.35マレーシアリンギット(RM)当日の為替レート概算は1RMが33円でしたから、51.35X33≒1695(円)になります。このクイズ、皆さん余りにもに安すぎ!でした。
1250円の回答で一番近かったyamatyanさんに☆3つ差し上げます。さすが自信あり、との宣言つきでした・・オメデトウございます。

品目 価格(RM)
鞘インゲン 1.65
タマネギ 1.42
玉子    3.99
空芯菜 1.59
パパイヤ 0.87
チョコアイス 6本入り 7.99
フランクフルトソーセージ 3.19
ノンシュガーヨーグルト1L 12.29
ピーナッツ 0.89RMX2 1.78
オレンジジュース1L 4.99
リンゴジュース1L 5.59
レーズンパン3RMX2 6.00

合計 51.35 

(日本円では51.35X33≒1695(円)でした)

PS:
このクイズで初登場の「あーちゃんさん」にお願い!
次回のコメントの時、ちょっくら「誰?」かのヒントください^^
伏してお願い…^^;
皆さん、次回クイズも奮ってご参加くださいねー

Firefly Village(蛍の村へ)

6月26日(木)夕方6時のピックUPで「FIREFLY」見物に行ってきました。
先述の通り、ツーリストインフォで貰ったパンフレットに載っていた”BORNEO STAR HOLIDAY ”のスタッフ”Dwan”さんの案内です。

Dwanの“PROTON(マレーシア国産乗用車)”で、夕闇迫るころ、とある小さな漁村に着きました。漁師の暮らす集落で、数軒の高床式住居が散在しています。決して豊かな暮らし向きではなさそうですが、ここで会った人たちも又、皆な(^^)ニコニコとフレンドリーです。

マングローブを伐採して「炭」を焼いている、いわゆる炭焼き釜を見せてくれました。火を入れてから8日後に炭を取り出し、製品は1キロで5RMと言う事でした。それにしても、マングローブ伐採!?これは環境保全にとって、如何なものか?・・っと、突っ込みました。で、彼の説明では、マレーシア政府の厳しいお達しで、伐採後に必ず幼木を植栽することになっているそうで、事実、その詳細を書いた、大きな告知板(前方左に小さく写っている)が2本も立っていました。植栽後、やく20年で又伐採可能、その繰り返しだと話してくれました。それを生業とする人々もまた、昔からここに住んでいるわけですね。

夕日が沈む黄昏に、椰子のシルエットが美しかったですね…

ちょっと危なっかしい桟橋から乗船、蛍の棲むマングローブの川へ舟が進みます。ここは海岸線から3㌔ほど溯った地点とのこと。

振り向いて、Dwanさんと船頭さん。そしてもう一人、現地人のオバさんを撮りました。

川の両側はマングローブの林、蛍の光がチラホラと見え出して…やがてそれは幻想的なXMASイルミネーションに。空を仰ぐと満天の星・・これだけの星が空にはあったんだ!っと、昔々、子供の頃、毎晩見たあの星空が甦ったひと時でもありましたね。ホント!もの凄い星が空にはあります。ただし、星&蛍、バカチョンデジカメでの撮影⇒ゼッタイ不可能!ザンネン!^^;


蛍と☆の両方を堪能すると、腹が減ってきました。夢の世界から現実の世界に戻った瞬間です^^;;帰りに、ローカルフードのレストランに立ち寄りました。
再度、BORNEO ST☆R HOLIDAYのDwanです。歯切れのいい英語を喋ります。KARAOKEが大好き、っと。日本の歌だと言って、メロディーをハミングしてくれて、、、2人で考えたけど、どうしても???ハハハッ・・

ご馳走になったローカルの夕ご飯。ヒラアジのCLAY POTのピリ辛煮はとても美味かったです。


dear dwan,
once again, we wish to say thank u so much for ur kindly escort to the fantasy!
If you may comment here, click the コメント at right side of bottom.
PS:
蛍ツアーは毎晩催行。蛍がいない北欧(スカンジナビアなど)からの白人客が殆ど。韓国の人はショッピングに忙しいのでKKだけでここには来ない・・我々がニッポン人初めてのお客とのこと。日本人はエコロジー大好きなはずだから、もっと来て欲しい(Dwan談)
昨晩8時、KKへ帰りました。途中、街道筋で特大スコールに遭遇しましたが、雨があがると、キナバル山を背景に特大の虹が2本も出現しました。この項目は後でUPします。BLOG-UPが追いつかなくなって来てます、、ハハハ^^;;

6/27/2008

日本人墓地(続編・完結編)

コタキナバル・Gracevilleの裏手にいつも行く「Kak Tum」というレストランがあります。愛想のいいTUMINオバさんの経営で、昼飯時には何時も満員です。
そのオバさんの息子が「ADZIE」というレストランをここサンダカンで経営しています。時間があったら行ってみます・・との約束を叶えるため、Mile-4の住所を頼りにTAXIで行きました。結構遠かったです、料金は20RMでしたから…

あいにく、息子のEdyはフィリピンに出張中で留守でしたが・・
5RMと6RMのランチとチャイニーズティーの冷たいの、美味かったです。


ホテルへの帰路、バスターミナルが通り道だったので、明日のKK行き、PM1時30分発のバスチケット買いました。
更に、昨日の未達成分、日本人墓地へ向かいました。行ったことが無いというドライバーに、右だ左だ、と道案内をしながら、昨日の引き返し地点に到着、そこで待って貰うことに・・・
やっぱり、この先は車では行けません。いよいよ道は狭く、何か霊気がいっぱい漂っている感じ・・


こうなると、執念ですね^^;; ありました。

標識をくぐって、最後の階段を昇りつめると・・・

道の両脇には、草に埋もれ朽ち果ててしまった墓標が多く散在していた。しかし、この日本人墓地は、意外に奇麗に手入れが行き届いていましたね。雑草もしっかり刈り取られ、よく整備されている様に見受けました。誰か奇特な関係者の篤志によるものと思います。

さすが、一つ一つの墓標までは、畏れ多く写真に収められませんでした。
一Q&エイコは、稀に訪れる日本人の一人として、ここに眠る多くの御霊に心からの合掌を捧げ、早々に帰らせていただきました。(合掌)

夕方から、FIREFLY=蛍鑑賞に行ってきました。それはそれは感動のツアーでしたが、この記事はKKへ帰ってからUPします。
hi dwan,
many tks for ur hearted support to bringing us into the fantasyland. we had the great experience tonight with u. I’m going to update my blog of the firefly village when I got home in kk.
banno,

6/26/2008

6月25日(水)の続き(日本人墓地)

セピロックから帰って、午後からサンダカン市内地図を貰いにツーリストインフォメーションへ。受付のオバさんが「え~日本から~!」っと、ビックリした様子。聞けば、今月2人目と言う事で、奥さんの名前も書いといてー!っと、2人分の記帳をさせられちゃいました。
オバさんに日本人墓地への行き方を聞き、いざ出発。その前に、すぐ隣に博物館があったのでちょっくら見てきました。1945年、戦火で廃墟になったサンダカン市内、巾10mくらいの特大写真が展示してありました。ここは大東亜戦争当時、日本の占領地だったのです。

道順に沿って歩くと、鬱蒼とした坂の途中にアグネス キースの家がありました

間もなく丘の頂上、の所でまたまた南洋名物スコールが…運良く屋根つき展望台があって、間一髪難を逃れました。

そこで出会った生徒たち、日本でいう中学生です。インキョGGのデタラメイングリッシュよりよっぽど上手いですよー^^;;勿論、マレー語と両方を操るわけです。皆な、明るくフレンドリ~です。
世界を行き交う情報の75%が英語、と言われています。日本の中学生、いや大学生だって話せませんね。これって、情報の「村社会」状態、いや鎖国が解かれていない状況では・・ないかな~?!単純な一例ですが、ニッポン人、旅行ガイドがついてないと、海の外に出られませんですね。これでは、日本の将来が危ないと思います、事実、最近の日本の国際競争力の順位が急速に下がってきています。

その展望台は、サンダカン・ロータリークラブの寄付。創立50周年のメモリアルでした。ロータリーの皆さん、助かりました^^

雨が上がって、その展望台からのサンダカン市街の眺めです。

日本人墓地に向かう途中で見た中国人墓地。

さて、目標だった「日本人墓地」ですが、とうとう行き着けませんでした^^;;
クネクネの道がだんだん細くなるし、山賊が出そうな雰囲気が漂いだして・・
で、後で地図を詳細に検討して分かったんですが、あと一歩のところまで行っていました。情報誌に、ひったくり危険地区とありましたが、足に5ヶ所、蚊に刺されただけで無事帰還できたので、まー良かったことにします。サンダカン8番娼館の女将の作ったお墓は未到達に終わりました。

きょうは、夕方からツーリストインフォで貰ったパンフレットの、MANGROVE FIREFLY CRUISE WITH DINNER RM120 p/p に行く予定です。これから予約します。