12/04/2015

2015年宮崎の旅(12)=JRで飫肥へ=

12月3日(木)晴れ。

JR日南線の鈍行列車で、ちょっとした旅行気分を味わってきた。

出発は無人駅の南方=みなみかた。
「なんぽう」と読みたくなるような、バナナが青空に映えていた。
それどころか、ブーゲンビレアも盛んに咲いていた。
 やってきたのは一両編成のワンマン列車。宮崎⇔志布志間を結ぶ、単線鉄道だ。
運転に支障があるので、話しかけないでください・・と、お願い書きがあった。
乗車時、車内の発券機で受け取った(無人の)乗車駅証明書。
降車時に運転手に所定料金を払うシステム。
「折生迫駅」
有名な観光地、青島の次の駅で平仮名表示がなかったら読めませんね。
Wikipediaで検索したら、一日の乗降客は2012年の平均で27名と。
約一時間、鈍行列車の車窓を楽しみ「飫肥」に着いた。ここも又、難しい漢字です。
ここは駅長さん一人の有人駅だった。
飫肥杉で有名な飫肥。
駅を降りて、暫く歩くと大きな橋があった。その橋に「飫肥杉」が使われていた。
観光案内所で、通行手形を@510円で購入。
飫肥城下の資料館や史跡などの共通入場券で、通常610円のところ
JRでやってきたお客には、あり難くも100円の割引があった。
その一、飫肥杉や塩の商売で財をなした豪商の庭。
その邸内。
町歩きでは、歴史を感じさせる邸宅や・・
こんな城下の佇まいが続く。
清流に遊ぶ錦鯉が、古(いにしえ)の情緒を醸して・・
坂を登りつめ、飫肥城跡に至った。
大手門をくぐり・・
苔生す城内に聳えるのは、もちろん飫肥杉。
目に留まったのは、中国語の団体が一組のみ。きょうは静かだな~と思った。
城内をゆっくり散策し、資料館を見学。
遥かな昔に思いを馳せる一角。
明治初頭、城主一族が構えた住まいとのこと。今は、観光コースの一つ。
明治維新で、その近代化に重要な役割を果たした外交官「小村寿太郎」も
ここ飫肥の生まれとのこと。
開国時の極めて不平等な通商条約の改正を完遂させるなど、
彼は、欧米と肩を並べられる近代日本の礎を築いた。
小村記念館では、類稀な才覚と驚嘆すべきその功績の一端を見ることができた。
午後2時前、遅めのランチ。
城下町の食堂でありついた、鶏唐揚げと豚の生姜焼き定食。
このランチが大当たり!ご飯も肉も味噌汁もウマイウマイ、で一つ残らず完食!
郵便局員の若いスタッフ連れや、地元のお客さんも居たりして。
この町の人気店かも、と思った。
再び駅に戻ってきた。駅の銘板も、もちろん立派な飫肥杉だった。
駅前のTAXI乗り場。
ドライバーに「景気はどうですか~?」と、「きょうはお客ゼロよ~」っと、寂しい客待ち。
飫肥発、午後3時7分・宮崎行きの切符を買った。
(有人駅では乗車券の自販機があるようだ)
飫肥駅の駅長さんは、可愛いオバさん。たった一人でこの駅の全てをこなしている。
城下町七ヶ所の史跡や資料館を回った。
共通入場券には、その都度押して貰ったスタンプがたまった。
JR日南線は、多くが一両でのワンマン運行で乗客は少なめ。
日向灘を遥か眼下に眺めながらゴトゴト走る・・
車移動が主な日常とは違う一日だった。ローカル列車に揺られる「こころ旅」であった。
2015年・宮崎の旅もあと一週間。
(つづく)

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