3/30/2021

やっとこさ

 3月30日(火)曇り。

庭の片隅で、さり気なく咲くスミレの仲間。
何時ごろからか、春には必ず姿を見せてくれる。これは多分、エイザンスミレ。
右の青紫は、紫鷺苔。(苔でないのにコケ?)
花弁の形いろいろ、個体差があるタチツボスミレ。過酷な環境にも強く、歩道の僅かな隙間などでも健気に咲いている。
黄金色のレンギョウや、淡白色のシデコブシも春爛漫に彩を添えている。
ちょうどこの時季、木々も一斉に芽を吹きだす。白い小花が咲き、緑色の実を無数につけるエゴノキ。
本来、芽が出る前にする剪定たけど、ちょい遅れで「さっぱり、すっきり」になった。
オオシマザクラが満開になり・・。
去年剪定した、欅の小枝を全て焼却完了。
その余禄は、きょうも焼き芋。宮崎県産の「葵はるか」ねっとり系で甘々だった。
恒例ケヤキの剪定作業にも着手。こっちは未だ芽が出ていない。
たった一年で、伸びに伸びたりボウボウ頭のニレケヤキ。猛暑の庭に日陰を作ってくれる、我が家のメインツリー。
のんびり~と2日半かかったけど、本日「やっとこさ」の散髪終了。
加齢により、近ごろ作業がサクサク進まない。けど、ボケ防止のリハビリと思ってやっている。さっぱりした姿を見上げて悦に入っている。

3/09/2021

春が来た

 3月9日(火)晴れ。

弥生も半ば、寒さに首を竦めることも少なくなってきた。
ここんところ、ずいぶん日脚が延びてきたな~っと、ふと思うこともあり。
この時季、いつも楽しみにしている小学校校庭の緋寒桜。今まさに、零れんばかりの満開を迎えた。
我が家の庭でも、足元にひっそりと春を告げる”ムラサキサギゴケ”(左)が咲き出した。
もう一種、右の黄色はオニタビラコ。コンクリートの割れ目に、真っ黄色の小花が目立っていた。同じ仲間のコオニタビラコは”ほとけのざ”これは春の七草になっている。


春先、蝋梅に続いて咲きだした藪椿は、只今、落花盛んなり。
今年も又、欅の散髪が迫っている。
去年の枯れ枝の焼却を急がねば・・と、きょうの焼き芋は”紅はるか”。ネットリ系で甘あま~!
ソメイヨシノも膨らんできた。あと一週間くらいかな・・!?

2/11/2021

陽だまりの畑

 2月11日(木)晴れ。

きょうはポカポカ陽気・・三寒四温とはよく云ったもんだと思う。
暫く寒暖を繰り返し、年寄りたちが待ち望んでいた春がやってくる。
きょうも元気にモーニング!そして、毎週木曜日はAさんと外でランチをする日に決まっている。ショッピングモールの中にも、お手頃ランチはいろいろある。
されど、ローテーションを工夫しても、やっぱり「なんか飽きがくるな~」と云うことで・・。
ちょっと遠いけど、初めてのうどん屋へ行ってきた。
メニューを見たら種類はいろいろ。しかし、その全てが味噌煮込み。
その名はミッソーニ、なんだかイタリア風!?
だけど、小じんまりした普通の饂飩屋だった。店名「味噌煮」だけあって美味かった!!
八丁味噌、かしわ、干し椎茸などの食材全て、店長の拘りが十二分に伝わってくるものでありました。
帰路、立ち寄ったのは「と、ある農園」
Aさんの知人Kさんの畑である。偶々、Kさんが夏野菜の作付け準備をしているのに遭遇した。幾種類かの果実が植えてあり、柑橘系の実がチラホラと。これはデコポン。
かなり以前から、Aさんの仲間たち数人でこの畑を開墾。今も四季を通して野菜作りを楽しんでいる。ず~っと、その恩恵に預かっていたのだが。
ところがAさん、最近、腰痛のため「農作業一時脱落中」とのこと。大きな楠の木の下で、A&Kさん談笑中~!
今、収穫できる野菜はなし。で、きょうは柑橘系3種を頂いてきました。

1/31/2021

焼き芋の季節

 1月31日(日)晴れ。

今年も焼き芋屋の開業~!?
昨年新調した薪ストーブ、一年ぶりに活躍の場が到来した。最近、焼き芋用の人気は「ほくほく系」より「ねっとり系」らしい。今回「シルキースイート」と云う芋を焼いてみた。古いコンクリ片の上に並べて・・
浅い植木鉢を被せる。
20分位で隙間から水蒸気が出てくる。その後やや青い色に変わったらOK~!石焼き芋風のスイートポテトの完成。
それにしてもパチパチ燃える炎の「ゆらぎ」は、いつ見ても心が癒される思いがする。
昨年散髪した欅の枯枝がひと山、この焼き芋の為に一年間熟成(!?)してあったのだ。ただ、庭の隅に積んであっただけ、だけど・・。
見上げると、次なる剪定が待っている。
そのケヤキの枝に焼き芋を吊るすと、メジロたちがやってきて「美味そう」に啄んでくれる。ときどきヒヨドリに追っ払われるけど、入れ替わり次々にやって来る。それを見るのも又、楽しみの一つである。
その楽しみ、少々難点がある。
と云うのも、煙の所為で服が燻製になってしまうのだ。匂いを取るのに洗濯が必要!これが厄介なこと。

1/23/2021

意外なこと

1月23日(土)曇り時々雨。

偶々と云うべきか、意外なことがあるものだ。
今朝、いつものコーヒー屋でモーニングについてきた茹で卵。殻をむき始めると「あれれ!?」中からトロ~リと何かが出てきたぞ~!それは半熟にも程遠い、生のままの黄身だった。
通りかかったおネーさんに「意外なこと、あるもんだね~」と。さっそく取り替えてくれました。それにしても、一つだけ!?とは考えられない珍現象。思った通り、茹で具合の単純ミス。勿体ないから目玉焼きにしたらいいのにね。
きょう、沖縄の友人からLINEで届いたのは”ヒカンザクラ”の開花画像。
え、え~!っと、驚くほどの早い桜。だけど今日の気温22℃とか、これなら桜も気持ちよく開く筈。今年の名護桜祭りは1月16日から~31日まで。日本一早い桜祭りだけど、コロナの所為でイベントはやっぱり縮小のようだ。
コロナ禍収束が見えないまま、早や一月も終わろうとしている。そんな中、真相は定かでないものの、オリンピック中止の声が海外発でチラホラ・・伝わってきた。

1/10/2021

あいちの民話を訪ねて

1月10日(日)晴れ。

きょうの中日新聞朝刊/県内版に”我が町内”に纏わる記事が載っていた。
この物語りは、実は昨年9月1日付けの”城之下町内会ブログ”に掲載した「花井(町名の謂われ)」とほゞ同じ内容のもの。
「花井」と云う地名についての由緒を紐解く記事で、町内会ブログの「教則本のお話し」と同様になっている。何れにしても昭和30年代ころまでは、実在していたもので、昔のことながらはっきり覚えている。
画像前方の電柱辺りに「井戸」があった。(R3/1/10撮影)

また、古文書に次のような「花井」についての記述が見られる。
『御高札場より三丁半戌亥に当る花井根古屋古城之出崎城之亥之方此井安原備中守在城のせつ清水の辺に桜桔梗有之に付花井と申由に申伝候』
この井戸については、当然ながら「諸説」があるようで、その一つについては「町内会ブログ」に載せた通りである。
この井戸の歴史的考察について、近世の郷土史家が著した(古代の鳴海地方考/鳴海叢書第15号)があり、以下に抜粋して転用させて頂いた。
その井戸は、字三皿の花井(野村三郎氏邸北側)と見るが妥当。従って、御船着場も三皿町の先端と見る可きである。鳴海城は根古屋城とも書かれたが、出崎城とも称せられた。これは地形上、字城の山の端(はな)が町名として山花と書かれ、又、端(はな)の井が花井と書かれ、花に因んだ伝説を生んだのであるが、山の端に湧き出た泉を云ったものであらふ。三皿は岬が訛って起った地名で、出崎の突端の船溜が、近代に亘っての鳴海の島街道の船着場である。往来の人々は、この花井の清水を汲んで渇を潤した。
(古代の鳴海地方考/鳴海叢書第15冊:抜粋/但し、読みにくい部分を一部修正した)

1/01/2021

新年に想うこと

 1月1日(金)晴れ。

穏やかな「令和3年の元日」である。

とは云え、それは日和のこと。この世は相変わらずコロナ禍に翻弄されたまま、新年を迎えることとなった。
令和2年の始め、武漢で確認されたコロナウイルス(COVID19)は、瞬く間に世界中に拡散されてしまった。夏ごろに一旦収束に向かったと思われたものの、大晦日には一日の感染者数が最大になったとの発表があった。
一日も早いコロナ終息と自らのボケ防止の希望を込めて、今年もデジタル年賀状を作ってみた(↓)
昨日の大晦日、昼ごろに雪が舞った。
灰色の空から降ってくる白い粒々を見ると、何となく嬉しくなる。温暖化の所為か、近ごろ余り見られなくなったので、つい動画を撮ってしまった。
今朝の主要紙新年号に「渋沢栄一さん」が載っていた。
画像は生誕の地、深谷市の記念館で今も講演を続ける「渋沢栄一翁」のアンドロイド。数年後、福沢さんに代わって「10000円」の顔になることが決まっている。更に、次の大河ドラマに登場するなど、今年は何かと話題が増えるはず。
彼は、明治黎明期の日本を代表する実業家で、岩崎弥太郎の「独占主義」に対し「合本主義」を唱え、近代日本の礎を築いた尊敬すべき人物である。
歴史で習った記憶が殆どないので「きりんが来る」に続く大河ドラマを今から楽しみにしている。
今朝の日経のキャプションに、彼が今の日本を憂う言葉があった。
「私がお札の顔になるまでに、ニッポンは立ち直れますか?」
「ニッポンよ、もの作りだけじゃダメだ。考えづくりだ。」
生涯に500の会社と、600の慈善団体を立ち上げた明治日本の賢者が、現世に甦ったら「もっと知恵を絞らんとダメだ~!」と嘆くかも。

12/06/2020

笹に花咲く(Ⅱ)

12月6日(日)晴れ。

昨日のこと、見知らぬご婦人の話から始まった「笹の花」ですが、今朝、あらためて新聞を確認すると、笹ではなく紛れもない”竹の花”の記事(12/5:中日朝刊)であった。

 そこで今日、再度の探索で公園内一角に黒竹の林を見つけた。新聞記事通り、確かに花がびっしり咲いている。

拡大してみると、イネ科の花はやっぱり稲の花とそっくり。
写真を撮った直後、新聞記事を手にしたシルバー世代の夫妻から「これ知りませんか?」と声を掛けられ「即答」で場所を教えてあげた。連日の偶然の縁(えにし)面白かった。
ついでに・・再度、
はやぶさ2の追加情報も記しておこうと思う。
カプセルが地球に帰ったのは、今朝未明(AM02:30頃)だった。足掛け6年、50億km余りの旅からよくぞ帰ってきてくれた。(↓)「これが見たくて睡魔に打ち勝った」
予定通り、オーストラリア南部の砂漠に降下したカプセル。
物々しい装備のJAXA担当者が「無事回収完了」
難しいミッション、日本の科学技術を世界が称賛している。今後、サンプルが分析され「新しい何か!?」が見つかるのを期待したい。
次なる壮大任務に向かった”はやぶさ2”を見守っていきたいと思っている。

12/05/2020

笹に花咲く

 12月5日(土)晴れ。

いよいよ明日、”はやぶさ2”が小惑星・竜宮から帰って来る。カプセル投下のあと、次のミッションで再び長い旅に向かうとのこと。
6日未明、最終段階のライブ中継を見たいとは思うものの、残念ながら自信がない。
日本の宇宙航空技術も”ナカナカ”なもんだと思う。
余りにも壮大すぎて、理解しがたい面もあるけど(↓)の図解で、何となく分かった気がする。
(↓)の2枚は、笹に花が咲いた画像。
きょう午後のこと、いつもように池の淵を散歩していると「朝刊に笹の開花が載っていたけど、ご存知ありませんか?」と、ご婦人から声がかかった。この池の何処かに咲いている筈・・と。「直ぐに見つかった~」
笹の群生が満開だった。笹に花がつくと枯れる・・定説通りなら、ここの全ての笹が間もなく一生を終える。「しっかり観察してやろう」ウオーキングの楽しみが、又ひとつ増えた。
小春日和のきょうも、水鳥の一団がぷかりぷかり・・と。
画像を拡大すると、数種類の鴨たちの姿。
池には餌があると思うけど、自然界で食べていくには容易ではない。時々、せっせと餌を撒く人を見かける。聞くと、鴨専用のエサとか。大喜びで啄んでいる動画←はこちら。
 
ユリノキは名古屋市のシンボルフラワーだ。
大木になり、初夏に百合のような花が咲く。秋に落葉した後、大樹に無数の実がついている様子は、初冬の淵で見応えのある景観になっている。

11/21/2020

ウオーキング習慣化!?

 11月21日(土)晴れ。

今月初めにウオーキングを始め、何とか3日坊主を免れた気がする。
健康診断結果の義務感に促されてのことながら、何となく面白くなって習慣になりつつある。

更なる秋の深まりに、蔦の紅葉が見事!と思うほどに染まった。
今日のコースには禅宗の古刹。ここは旧東海道筋の格式の高い寺である。
石段の右に「不許葷酒入山門」の碑が立つ。これは禅門を象徴するもの。
境内の片隅に、今は殆んど姿を見なくなった「二宮金次郎」の像がひっそりと佇んでいた。
桶狭間合戦では、織田方の重要な戦略地点であった中島砦跡に寄った。
善照寺砦に集結したように見せかけて、実はここから「桶狭間」へ正面攻撃を仕掛けたと云われている。今は民家が立ち並び、史跡を想わせるものなし。その銘板も遠慮がちに掲げられている。
中島砦は扇川(黒末川)と手越川の合流点にある。そこに白鷺が一羽、秋の日を背に小魚を待ち受けていた。
桶狭間合戦の後、廃城となった鳴海城の材木を再利用したと伝わるのは「真言宗・東福院山門」
(戦国時代の)鳴海城下に建つこの寺院。その由緒書きに、廃材利用とのことが記されている。現代に通じるエコシステムが、戦国の世でも活かされていた。
定番の散歩コース・新海池の畔。楓の落ち葉が絨毯のように敷きつめられていた。
周辺が公園として整備されている新海池はお好みのコースだ。
江戸時代前期に、新海五平治が尾張藩の許可を得て、灌漑用水として造った歴史ある池である。昭和30年代頃までは、鳴海西部地区の田圃に稲作の水を供給する重要な役目を担っていたが、今はその用に供されることがなくなった。
子供のころ、透明度の高い清らかな水にホンモロコが多数生息。ギヤマンで獲って佃煮にしたが、当時は貴重なタンパク源でもあった。水面に菱が浮かび、その実を茹でて食べたけど、どんな味だったか残念ながら覚えがない。
池のたもとに、周辺に見られる野鳥の掲示板がある。幾種類もの野鳥が見られる、市民憩いの場だ。
新海池の西岸一帯には「赤塚古墳」があった。昔、畑の中に盛りあがった墳墓があったのを記憶している。ただし今は史跡の板のみ、地域全体が住宅地になっている。