11/19/2016

臼杵の石仏を訪ねた

11月18日(金)曇り時々雨。

18日~19日の2日間、姉弟妹の3夫婦で恒例の一泊旅行へ。
行先は大分県臼杵市。国宝・臼杵の石仏群を主に、温泉に浸かり乍らの2日間だった。

宮崎から東九州道を北上。
すると間もなく、カーナビは道なき道を進む。
昨年ほぼ全通した高速道ですが、ナビ情報の更新が追いついていない。
この道路は、道路公団と国土交通省の其々が分担した部分が混在している。
ある区間に限って無料の区間があるのは、国交省の管轄部分。
無料区間にはSAやPAがなく、ちょっと不便を感じることもあった。
殆どが対面通行で、時速制限は80km/h。 
 佐伯インターを降り吉四六さんの里、臼杵市野津に入った。
 予ねて決めてきた順序通り、先ず最初に訪ねたのは
国指定天然記念物で、日本一美しいと云われている風連鍾乳洞へ。
 順路に南天の実が迎えてくれた。
洞窟は大正15年、地元青年団によって発見された。
当時そのままに保存されている入口は、今は入れないとのこと。 
 今は観光用の入口が掘削され、奥行500mの洞窟内を見物できる。
新たにできつつある、小指の爪ほどの石筍。ただし、ここまで育つのに100年・・ 
大きくなって、いろんなモノに見えるものも・・ 
 各地にある白い鍾乳洞とは、色具合が異なるな~と思った。
カビなどの原因により、着色が進むようだ。
順路の照明があたる個所では、苔が生えシダが芽を出したりしていた。 
洞窟では、太古の化石も発見される。これは鹿の頭部とのこと。 
洞窟の外界は晩秋。 
次は国宝・臼杵の石仏群へ。 
公園センターの食堂でとった昼食のダゴ(ダンゴ)汁。
平たいのに団子とは・・!? 丸いのがダンゴなんだけど・・!?
答えは、長生きできるように「伸ばした」そうだけど。勿論、これは昔から。
 細かい雨が落ちてきて、センターに用意されていた傘を拝借した。
参道の緩い坂を登り降りしながら・・ 
無数の石仏を拝観させてもらった。 
時代は飛鳥~平安~室町。凡そ一千年を遡る。 
 威厳に満ちていたり、微笑んでいたり。
鑿を打つ仏師の息遣いが聴こえてきそうな・・ 
 その古の匂いが、振り返って眺める現世の空間にも広がっているようだった。
この大日如来像に代表されるのが、臼杵石仏(摩崖仏)。
平成7年に、摩崖仏として全国で初めて国宝に指定されたとのこと。
 石仏守護寺の境内にあった石像。素朴で何か気になる存在だった。
仁王像の原型かと想像した。
 石仏公園にあった石碑。
「世間は生きている 理屈は死んでいる」蘊蓄のある勝海舟の言。

次に訪れたのは、臼杵の見どころ二王座歴史の道。 

寛永年間創建の古刹、見星禅寺。
お庫裏さんに、散策の間境内への駐車をお願いした。
 雨に濡れた銘板や石畳が、しっとりした風情を醸していた。
 二王座歴史の道。
(一)
 (二)
 (三)
 (四)
 (五)
 (六)
(七) 
 (八)
 歴史の道を一巡し、街並みにでた。
「おや!石敢當」
沖縄だけのもの、と思っていたのが歴史の町にもあった。
説明板によると、沖縄は「せっかんとう」ここでは「いしかんとう」と読むとのこと
横町の路地、タライの中で丸まっていたネコ。
偶然にも↓の関サバを狙っている構図になったが、両者に関連はない。
予約の際に頼んだ、関サバのお造り。夕食は豊後水道の獲れたて鮮魚尽くしだった。
1300mの地下から湧出する温泉も、なかなか良い宿だった。
 

11月19日(土)雨のち晴れ。
 旅の2日目、夜明け前から季節外れの雷鳴がとどろき、激しい雨足だった。
 宿の外にいたミミズ。
宮崎ではカンタロウと云うらしい。
NETで検索すると、日本最大級のミミズで名称はシーボルトミミズだった。
朝、天気がよければやろう!っと、義弟と申し合わせ「竿」を積んできた。 
折角晴れたので・・
昨年、名古屋へ帰るとき臼杵からフェリーで八幡浜へ渡った。
その時、この防波堤で釣りを見物。
そして一年後、まさかと思う釣りが(ここで)できた。けど、ルアーをいろいろ試すも「坊主」
地元の釣り人たちが、次々にサヨリをあげていた。
そうは甘くはありません。顔を洗って出直しな!っと、云われているような・・^^; 
臼杵城跡へ。
そこにあった謹皇臼杵隊之碑。
 明治10年、西南の役で臼杵に進攻してきた西郷軍3000を、臼杵隊750で
その進撃を阻んだ。その戦死者の忠義を称えたもの。 
 空堀と思われる、かなり強固な城壁。
 臼杵城は戦国時代のキリシタン大名、大友宗麟の築城。
「城跡内にいるネコに、餌をやらないでください」
との注意書きがあった。まったく意に介せず、日向ぼっこで微睡中。 
 帰路の県道から隅櫓が見えた。
宮崎に向かう途中、佐伯の海岸にある「塩湯」へ寄った。
WEB上でかなり有名らしく、午後1時半と云うのに席待ちの客が多数。
その名の通り、海水を沸かした湯と海鮮料理の店。 
待合室に置いてあったお品書きの裏に、
「当店はひじょうーに時間がかかります」その通り、待つこと一時間以上だった。
待ちの間は海を見たり、水槽で泳ぐ料理の材料を見たり。
・・と、虹もでた。 
 やっと呼ばれて席から外を見ると、やっぱり待ち人多数。
 大忙しの店内、お茶はセルフ。お子様用のマグカップしか余ってなかったのだ。
 これが店の名物、海鮮丼。
一口で表現すると、ご飯つぶに行きつくのに時間がかかる丼。
格調高い丼と、プラスチックカップのギャップを「甚く楽しんだ昼飯」だった。
 そして、その残骸も記録に残しておこう。
長~くなってしまった最後に「ぴんころ地蔵」の話し。
土産を買う習慣はないが、自らのために時々衝動買いをする。
臼杵の有名人、吉四六さんは江戸時代の生まれ。本名は吉右衛門と云う実在の人物。
ぴんころ地蔵は、吉四六さんの奥さんの「おへまさん」が熱心に信仰していた。
当時、平均寿命は40歳そこそこ、吉四六さんはお地蔵さんの加護を得て、88歳まで
元気に長生きしたと伝えられている。
そんな吉四六さんのように、いつまでも「ぴんぴん元気」。そして、誰もが願う
「ころり」といけるよう・・との願いを叶えるお地蔵さん。
「皆様が毎日元気に笑顔で暮らせますように」と。
以上、箱書きが添付してありました。
恒例の旅、来年も又・・と念じつつ。
2016年・宮崎の旅(つづく)

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