12/06/2020

笹に花咲く(Ⅱ)

12月6日(日)晴れ。

昨日のこと、見知らぬご婦人の話から始まった「笹の花」ですが、今朝、あらためて新聞を確認すると、笹ではなく紛れもない”竹の花”の記事(12/5:中日朝刊)であった。

 そこで今日、再度の探索で公園内一角に黒竹の林を見つけた。新聞記事通り、確かに花がびっしり咲いている。

拡大してみると、イネ科の花はやっぱり稲の花とそっくり。
写真を撮った直後、新聞記事を手にしたシルバー世代の夫妻から「これ知りませんか?」と声を掛けられ「即答」で場所を教えてあげた。連日の偶然の縁(えにし)面白かった。
ついでに・・再度、
はやぶさ2の追加情報も記しておこうと思う。
カプセルが地球に帰ったのは、今朝未明(AM02:30頃)だった。足掛け6年、50億km余りの旅からよくぞ帰ってきてくれた。(↓)「これが見たくて睡魔に打ち勝った」
予定通り、オーストラリア南部の砂漠に降下したカプセル。
物々しい装備のJAXA担当者が「無事回収完了」
難しいミッション、日本の科学技術を世界が称賛している。今後、サンプルが分析され「新しい何か!?」が見つかるのを期待したい。
次なる壮大任務に向かった”はやぶさ2”を見守っていきたいと思っている。

12/05/2020

笹に花咲く

 12月5日(土)晴れ。

いよいよ明日、”はやぶさ2”が小惑星・竜宮から帰って来る。カプセル投下のあと、次のミッションで再び長い旅に向かうとのこと。
6日未明、最終段階のライブ中継を見たいとは思うものの、残念ながら自信がない。
日本の宇宙航空技術も”ナカナカ”なもんだと思う。
余りにも壮大すぎて、理解しがたい面もあるけど(↓)の図解で、何となく分かった気がする。
(↓)の2枚は、笹に花が咲いた画像。
きょう午後のこと、いつもように池の淵を散歩していると「朝刊に笹の開花が載っていたけど、ご存知ありませんか?」と、ご婦人から声がかかった。この池の何処かに咲いている筈・・と。「直ぐに見つかった~」
笹の群生が満開だった。笹に花がつくと枯れる・・定説通りなら、ここの全ての笹が間もなく一生を終える。「しっかり観察してやろう」ウオーキングの楽しみが、又ひとつ増えた。
小春日和のきょうも、水鳥の一団がぷかりぷかり・・と。
画像を拡大すると、数種類の鴨たちの姿。
池には餌があると思うけど、自然界で食べていくには容易ではない。時々、せっせと餌を撒く人を見かける。聞くと、鴨専用のエサとか。大喜びで啄んでいる動画←はこちら。
 
ユリノキは名古屋市のシンボルフラワーだ。
大木になり、初夏に百合のような花が咲く。秋に落葉した後、大樹に無数の実がついている様子は、初冬の淵で見応えのある景観になっている。

11/21/2020

ウオーキング習慣化!?

 11月21日(土)晴れ。

今月初めにウオーキングを始め、何とか3日坊主を免れた気がする。
健康診断結果の義務感に促されてのことながら、何となく面白くなって習慣になりつつある。

更なる秋の深まりに、蔦の紅葉が見事!と思うほどに染まった。
今日のコースには禅宗の古刹。ここは旧東海道筋の格式の高い寺である。
石段の右に「不許葷酒入山門」の碑が立つ。これは禅門を象徴するもの。
境内の片隅に、今は殆んど姿を見なくなった「二宮金次郎」の像がひっそりと佇んでいた。
桶狭間合戦では、織田方の重要な戦略地点であった中島砦跡に寄った。
善照寺砦に集結したように見せかけて、実はここから「桶狭間」へ正面攻撃を仕掛けたと云われている。今は民家が立ち並び、史跡を想わせるものなし。その銘板も遠慮がちに掲げられている。
中島砦は扇川(黒末川)と手越川の合流点にある。そこに白鷺が一羽、秋の日を背に小魚を待ち受けていた。
桶狭間合戦の後、廃城となった鳴海城の材木を再利用したと伝わるのは「真言宗・東福院山門」
(戦国時代の)鳴海城下に建つこの寺院。その由緒書きに、廃材利用とのことが記されている。現代に通じるエコシステムが、戦国の世でも活かされていた。
定番の散歩コース・新海池の畔。楓の落ち葉が絨毯のように敷きつめられていた。
周辺が公園として整備されている新海池はお好みのコースだ。
江戸時代前期に、新海五平治が尾張藩の許可を得て、灌漑用水として造った歴史ある池である。昭和30年代頃までは、鳴海西部地区の田圃に稲作の水を供給する重要な役目を担っていたが、今はその用に供されることがなくなった。
子供のころ、透明度の高い清らかな水にホンモロコが多数生息。ギヤマンで獲って佃煮にしたが、当時は貴重なタンパク源でもあった。水面に菱が浮かび、その実を茹でて食べたけど、どんな味だったか残念ながら覚えがない。
池のたもとに、周辺に見られる野鳥の掲示板がある。幾種類もの野鳥が見られる、市民憩いの場だ。
新海池の西岸一帯には「赤塚古墳」があった。昔、畑の中に盛りあがった墳墓があったのを記憶している。ただし今は史跡の板のみ、地域全体が住宅地になっている。

11/11/2020

11・11今日は何の日?

 11月11日(水)晴れ。

きょうは何の日・・!?
最近、よく耳にするフレーズだが、きょうは何と31個もあるそうだ。「1111」で「立ち飲みの日(何となく分かる)」「鏡の日(左右対称)」「ポッキーとプリッツの日(姿が似ている)」「チンアナゴの日(海底の姿から)」「侍の日(2本差しor西向くサムライから)」「乾電池の日(+と一)」等など。それにしても31個も、よくぞコジツケたものと感心する。

スマートウオッチのデータをスマホアプリで見た画像。設定の「5000」を超えると、振動とメッセージで教えてくれる。その他心拍数、体温、血圧、血中酸素濃度なども、任意の間隔で記録してくれるので有難い。

  
散歩の途中、目に留まるのはやっぱり木々の装い・・百日紅。
これはモミジバフウ・・
ケヤキ・・。7日(土)が立冬だった。冬の足音が近づいている。
10月9日(火)晴れ。
5千歩目標のウオーキングで、雉本博士の銅像を訪ねた。
大正時代、年貢に困った農民が決起した争議を農民側に立ち法的支援をした法律家。当時、国会でも問題になった騒動で、強硬な地主に対抗して訴訟を指揮。係争中に謎の死を遂げることになった。その後、農民と地主が和解し農民側が有利な結果を得ることになったと云われている。
博士を顕彰する銅像が、恩恵を受けた農民の寄附により昭和5年に建立された。

(創設碑文の中に、祖父(昭和20年没)の名があった)

11/10/2020

旧式PCをLinuxで動かす

 11月10日(火)晴れ。

なんとも「いい季節」になった。
ついこの前の灼熱地獄と比べれば、まさに天国。そして、各地の紅葉便りと街の装いも美しくなってきた。近くのモールの駐車場、その壁面の蔦が秋色になった。よく見ると、染まり具合が山の紅葉とは上下真逆だ。そのグラデーションの妙が又、たいへん面白い。
秋の夜長は読書・・灯火親しむころ、と云われている。読書の代わりにパソコン弄りも「いと楽し」と、へんな虫が動き出した。
旧型の富士通ノートPC(Windows 7)は廃棄待ちの代物。インテルDUO-1.6GHは一応起動するものの、スペック不足が否めない。
高速起動が可能と云う、こんな記事を見つけ早速試してみたくなった。USBデバイスに所定のファイルをDLし、Linuxをインストール完了。OSの起動順位をHDDからUSBに変更して・・
電源ON!!起動プロセスの文字列がパラパラパラ~
・・っと、立ち上がってきた~!初めて見る「LINUX」
っと、有線LANに接続中!(LANケーブルは繋げてないよ~!)
無償OS「リナックス・ビーンズ」の画面。
ブラウザはOPERAだった。WiFiを設定してインターネットに接続完了~!ところが、このオペラが曲者だった。プロキシの設定とか何とかカンとか!?ネットに繋がってもブラウザが開かず。WiFi接続もSSIDとKEYが毎度必要~!?(なんで記憶しないの?)
と云う顛末にて、Linuxは即!却下!!
以上、一夜の夢と化した次第。かれこれ四半世紀「Windows95の呪縛」から逃れられない残念な結末となった。

11/06/2020

はせう翁の千鳥塚

11月6日(金)曇り。

何時ものコーヒータイムの後、思い立ってウオーキング&史跡探索へ。

COFFEE・シルビアから程よい距離に、芭蕉翁の句碑が残る千鳥塚史跡がある。そこは桶狭間合戦の織田方丹下砦があったところ。その登り口には「鉾ノ木貝塚」の遺跡もある。

砦の跡だけに、史跡は小高い丘の上。両側が住宅の細い道を登り詰めると、千句塚公園が現れた。
そのコンクリート壁に、芭蕉翁が鳴海宿の句会で詠んだ名句が刻まれている。
身近にありながら初めてやって来た公園は、思いのほか綺麗に整備されていて驚いた。
鳴海六俳仙と云われた弟子たちとの縁で、芭蕉翁は生涯四度も鳴海に逗留している。奥の細道に発つ2年前にも訪れていると云う。
千鳥塚は今から丁度333年前の1687年11月、芭蕉翁が存命中に作られた唯一の塚と云われている。それは千句塚公園の東南角、榎の巨木の下にあった。碑文は芭蕉自らの筆によるものと伝わる。
「星崎の 闇を見よとや 啼く千鳥 芭蕉」
俳句に詠まれた「星崎」は鳴海の次の駅で、当時は島(松炬島)であった。今は丘陵地で、その向こうには名古屋駅前のビル群を望む。その昔、この眺望には鳴海潟が広がっていた筈。「鳴海」の由来は「千鳥が鳴いていた海」との聞き覚えあり。
そんな景色を眺めながら、なるぱーくで買った種無し富有柿(糖度16)を古びた木製ベンチで頬張った。
しかししかし、意外なことに16度なる「甘味」の前に、何と「渋み」があってビックリ..。渋がゴマ粒状になった甘柿の印し、所謂「茶色の点々」が全くなし。見た目が殆ど渋柿で、それでもちょっとだけ甘かった。
桶狭間合戦では、織田方の砦だっただけに眺望は抜群。信長軍は熱田から野並を経てここに立ち、善照寺砦に向かった。
南西方向には名港トリトンの橋脚が見える。昔、眼下の海(鳴海潟)があの橋まで広がっていた筈。江戸時代からの新田開発で海が後退し、今、この現実を眺めながら帰路についた。今昔の隔世感ここにあり、と思う。
(本日の歩数5802、2日連続の5千歩達成!!)