11/06/2020

はせう翁の千鳥塚

11月6日(金)曇り。

何時ものコーヒータイムの後、思い立ってウオーキング&史跡探索へ。

COFFEE・シルビアから程よい距離に、芭蕉翁の句碑が残る千鳥塚史跡がある。そこは桶狭間合戦の織田方丹下砦があったところ。その登り口には「鉾ノ木貝塚」の遺跡もある。

砦の跡だけに、史跡は小高い丘の上。両側が住宅の細い道を登り詰めると、千句塚公園が現れた。
そのコンクリート壁に、芭蕉翁が鳴海宿の句会で詠んだ名句が刻まれている。
身近にありながら初めてやって来た公園は、思いのほか綺麗に整備されていて驚いた。
鳴海六俳仙と云われた弟子たちとの縁で、芭蕉翁は生涯四度も鳴海に逗留している。奥の細道に発つ2年前にも訪れていると云う。
千鳥塚は今から丁度333年前の1687年11月、芭蕉翁が存命中に作られた唯一の塚と云われている。それは千句塚公園の東南角、榎の巨木の下にあった。碑文は芭蕉自らの筆によるものと伝わる。
「星崎の 闇を見よとや 啼く千鳥 芭蕉」
俳句に詠まれた「星崎」は鳴海の次の駅で、当時は島(松炬島)であった。今は丘陵地で、その向こうには名古屋駅前のビル群を望む。その昔、この眺望には鳴海潟が広がっていた筈。「鳴海」の由来は「千鳥が鳴いていた海」との聞き覚えあり。
そんな景色を眺めながら、なるぱーくで買った種無し富有柿(糖度16)を古びた木製ベンチで頬張った。
しかししかし、意外なことに16度なる「甘味」の前に、何と「渋み」があってビックリ..。渋がゴマ粒状になった甘柿の印し、所謂「茶色の点々」が全くなし。見た目が殆ど渋柿で、それでもちょっとだけ甘かった。
桶狭間合戦では、織田方の砦だっただけに眺望は抜群。信長軍は熱田から野並を経てここに立ち、善照寺砦に向かった。
南西方向には名港トリトンの橋脚が見える。昔、眼下の海(鳴海潟)があの橋まで広がっていた筈。江戸時代からの新田開発で海が後退し、今、この現実を眺めながら帰路についた。今昔の隔世感ここにあり、と思う。
(本日の歩数5802、2日連続の5千歩達成!!)

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