11月25日(土)曇り。
朝、車が薄っすら雪化粧。この分だと、山は降ったかも・・!?
熊本市内へ向かう途中、阿蘇神社に寄った。
日本三大楼門と云われる壮大な門が、無残な姿になり再建中だった。
時々立ち寄る道の駅・阿蘇。ここのソフトクリームは美味絶品。
水前寺公園・・
池は阿蘇の湧水、清らかな水面に鴨が遊ぶ。
欄干の鳩。
鯉も。
う~ん、、これはいい・・!?
これもいいかも。
これはアオサギかも(モネ風)。
熊本城へ向かうと、あのとき砂煙をあげていた天守が見えた。
この無残な姿に・・
心痛の面持ちの観光客が詰めかけていた。外国からも多数・・
城内の銀杏だけは、何事もなかったように自然の風情を見せていた。
2機の大型クレーンと天守閣。復旧作業は進捗しているのか・・
奇跡の櫓。石4個で支えていた。
崩落した石が並べてあり、全てに記号が入っていた。
11月24日(金)曇り。
昨夜は強い風、防風林の松が騒がしいほどだった。
朝食を済ませ、チェックアウト。フェリーの出発まで島内見物に。
台風で倒れたオオシマザクラを切ったらハートが出てきた~!
観光パンフには、島の七不思議となっていた。
東端に灯台があり・・
明治37年、57mの断崖上に建てられた灯台は花崗岩造りの強固なもの。
光の到達距離は20海里。昭和38年に電化、45年に無人化された。
その断崖上から望む国東半島。
島の至るところが釣りのポイントで、今はアジの時季との情報あり。
竿は2本用意したものの、風極めて強く断念。
午前10時25分の便で島を後にした。
昨日、半周した残りの半分を回って中津市にやってきた。
これで国東半島を一巡り。
中津の道の駅に立ち寄り、道路反対側の宝来軒でラーメンの昼食。
2泊目の宿、筋湯温泉を目指す。
その途中、中津市の観光名所
青の洞門を見物した。
和尚が掘った明りとりの窓とか。
観光バスが何台も停まって、多くの見物客で賑わっていた。
禅海和尚の遺徳文。
その功徳碑。
ノミのみで30年、気迫が伝わる禅海和尚の彫像。
九重連山の筋湯温泉へ着つくと、雪がチラチラ。山が薄っすらゴマ塩に。
4年前に泊まったホテルへ行くと、チェーン持ってますか?
当然ながら「NO!」
すると、今日中に山を下りた方がいいかも・・っと、スタッフから親切なアドバイス。
と云うわけで、阿蘇の外輪山を望みつつ山を下った。
途中、いつもの予約サイトで調べた阿蘇・内牧温泉の宿を急遽のBOOKING。
駐車場は満杯!で、臨時Pに車を止めた。この時季の連休に、上手く取れたなー!?
明日は熊本市へ。
11月23日(木)晴れ。
毎年の恒例行事である温泉旅行へ。
宮崎自動車道を北上し、大分県・国東半島の沖合5kmの姫島へ向かった。
途中、延岡の道の駅に立寄ると、西郷どんの宿陣跡資料館が近くにあるとの
案内板があり、急遽訪れることになった。
資料館表札。
宮崎県指定史跡の表示。
西南戦争最後の決戦に敗れた薩摩軍が、明治10年8月15日から17日まで陣を張った
場所で、緊迫する軍議の様子がリアルな人形で再現されていた。
その史実を、音声案内で詳しく聞くことができた。
17日夜、背後の可愛嶽を超え政府軍の包囲網を突破した。
当時を物語る展示物も多数・・
来年の大河ドラマ“西郷どん”放送決定のポスターに思わず微笑んだ。
薩摩では、西郷どんは「せごどん」と発音する。
東九州自動車道、別府湾SAを暫く進んだJCTを大分空港方面へ。
国東半島を半周した先に、姫島行きのフェリー乗り場があった。
人口2000名程と云う島は周防灘、旨い魚で有名な豊後水道に位置する。
観光にも力を入れているようで、島を挙げての積極的な活動の様子がケーブルTVでも
紹介されていた。観光案内には、春と秋に飛来するアサギマダラの情報も。
何でも島には案山子研究会があるそうで、毎年、新作を発表しているらしい。
宿に到着後、村営温泉でひと風呂浴びようと通りかかった田んぼで
この光景に遭遇してびっくり。
凡そ案山子とは思えないリアリティー。
農作業の途中の授乳や妊婦さんの姿まで・・
道路から見物する、通りすがりの観光客まで・・
全ぇ~んぶ、案山子・・!? 向こうの方の小川では、釣り人の姿も。
刈り取り直後に“田植えの真っ最中”
村営温泉は入泉料200円。
5名程の先客は全て村の面々。毎日だよ~!とのこと。
島に魚屋なし。魚は買うものじゃなく貰うもの、と笑っていた。
水揚げされた豊後水道の鮮魚は、神戸や大阪に出荷されるとのことだった。
ここは島民交流の場、小規模ながらその設備が物語っていた。
懐かしの体重計。
温泉でぽっかぽかになったところで、夕食は豊後水道の魚尽くしだった。
島特産の車エビは、ピチピチの踊り、塩焼き、フライの3種。