1/10/2021

あいちの民話を訪ねて

1月10日(日)晴れ。

きょうの中日新聞朝刊/県内版に”我が町内”に纏わる記事が載っていた。
この物語りは、実は昨年9月1日付けの”城之下町内会ブログ”に掲載した「花井(町名の謂われ)」とほゞ同じ内容のもの。
「花井」と云う地名についての由緒を紐解く記事で、町内会ブログの「教則本のお話し」と同様になっている。何れにしても昭和30年代ころまでは、実在していたもので、昔のことながらはっきり覚えている。
画像前方の電柱辺りに「井戸」があった。(R3/1/10撮影)

また、古文書に次のような「花井」についての記述が見られる。
『御高札場より三丁半戌亥に当る花井根古屋古城之出崎城之亥之方此井安原備中守在城のせつ清水の辺に桜桔梗有之に付花井と申由に申伝候』
この井戸については、当然ながら「諸説」があるようで、その一つについては「町内会ブログ」に載せた通りである。
この井戸の歴史的考察について、近世の郷土史家が著した(古代の鳴海地方考/鳴海叢書第15号)があり、以下に抜粋して転用させて頂いた。
その井戸は、字三皿の花井(野村三郎氏邸北側)と見るが妥当。従って、御船着場も三皿町の先端と見る可きである。鳴海城は根古屋城とも書かれたが、出崎城とも称せられた。これは地形上、字城の山の端(はな)が町名として山花と書かれ、又、端(はな)の井が花井と書かれ、花に因んだ伝説を生んだのであるが、山の端に湧き出た泉を云ったものであらふ。三皿は岬が訛って起った地名で、出崎の突端の船溜が、近代に亘っての鳴海の島街道の船着場である。往来の人々は、この花井の清水を汲んで渇を潤した。
(古代の鳴海地方考/鳴海叢書第15冊:抜粋/但し、読みにくい部分を一部修正した)

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