12/08/2010

リハビリ明け・・椎葉村へ

宮崎市から北上(大分方面)すること一時間で日向市に入ります。そこで西に方向転換、険しい山道をくねくねと登りつめたあたりに「椎葉村」がありました。
茅葺屋根の村落、、そんなイメージを抱いて来たのではありますが・・・


集落の入り口にあった椎葉村物産センターに立ち寄って「観光案内図」を手に入れました。その駐車場脇に銅像が2体、この2人の謂れがプレートに記されていた。その名は「鶴富姫と那須大八郎」です。



 同じところにど~んと立っていた看板。山を越えてまた超えて、椎葉へやってきたことを実感させてくれます。


椎葉観光の目玉、鶴富屋敷を見物。源氏で平家討伐大将の那須大八郎と平家の鶴富姫の悲恋の舞台で、この屋敷の様式から約三百年前に建てられたものといわれています。現在35代目ということですが、自称、現代の鶴富姫(80歳)が歳に似合わぬ軽快な口調でその深い歴史物語を語ってくれました。


その屋敷の軒下に吊るしてあった玉蜀黍。建物との対比が余りにも面白く、切り取って葉書の挿絵にでもなりそうな構図ではありませんか。


庭にあった古民具、猪おどしの原理で動く蕎麦挽き機・・とでもいいますか~!?臼に何もなかったけど、コトンコトンと実際に動いていました。


これも思わずデジカメしてしまった・・日本山村風タペストリーですね~その前で昼寝のワンコは意識してフレームにいれましたが、、どうも起こしてしまったようです。そのワンちゃん、何故か「さわらないで」と書いたタグを首に下げていました。


村落の神社に樹齢800年を数える杉が聳えていました。800年前と言えば、鎌倉幕府成立のちょっと前のことですね。宮崎県の巨樹百選の一つとのことです。


村内の「十根川重要伝統的建造物群保存地区」という大変ややこしい名称の群落です。駐車場にいた爺さまに聞くと、昔は全部「茅葺き」だったそうです。今はその昔の姿を留めている家屋はなく、ただ、苔むした石積みだけは当時のままを伝えているのかな、と思いました。


ちょっと遠回りした帰り道、不運にも時限通行止めのトラップに掛かり・・遠回り一時間に有難くない足止めロスタイムが加算されてしまいました。道路拡張の工事中で、郵便配達のお兄ちゃんのバイクも、きっちり先頭で止められていました。一時間の通行止めに、バイクを含め全部で5台が連なりました・・この国道、凡そ20分で一台の通行量という計算になります。

途中、五ヶ瀬町の山あいで真っ白に雪化粧した山の頂きを見て、、南国宮崎もやっぱり師走か~っと、思い知らされたドライブ紀行でした。
そろそろ玉手箱を手に・・帰り支度を始めるころあいか、と、、思う次第です。

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