43年ぶりのカンボジアは懐かしさもありました。町の様子が変わっても、アンコールワットなどの遺跡は昔のままだった。陸路で国境を越え、ベトナム最大の都市ホーチミンから観光客が立ち寄ることのないメコンデルタの田舎町を訪れた・・旅の友、Gさん夫妻と一緒にパック旅行では決して味わえない充実の旅を満喫できました。
カントーでチャーターしたミニバスで再びホーチミンに入り、ネットで目星を付けておいた空港エリアのホテルにブッキングなしの飛び込みチェックイン。このホテル、実はリニューアルオープン4日目とのことで、外にはお祝いの花輪も飾ってあり・・偶然、真新しい部屋に宿泊できました。チェックイン後、散策&ランチを食べに通りへ~市場は相変わらず豊富な食材が並んでいて・・
牛肉屋のおばさんに「これ幾らかな~?」と聞きたかったんですが・・口を開こうとしたとたんに「あっちへ行け~」とかの仕草~ザンネン、ここでは言葉は全く通じなかったんだー
こんな光景、東南アジアならではですね・・昔々、日本でも自分ち育てた鶏を捌いたんですが~そんな貴重な文化も今や我が国では絶滅してしまいました。
これはベトナムで食べた最後の夕食・・料理の名前は不明ですが、中華系の料理はどこへ行っても殆ど間違いなく口に合いますね~
これはクレイポット何とか・・です。麺でも米でも、ベトナム料理は美味しかったです・・
この旅の最後に食べたベトナムのドリアン。そこそこいい感じの色合いだったんですが、熟れすぎでNGでした~周りにいたオジさん方が、椅子を持ってきてくれたり色々親切にしてくれたんですが 、食べ残してしまいました~これはちょっとザンネン。
この「ヴォンクァン」が旅の最後に泊まったホテルです。フランス統治が長かっただけあって、フランス語?みたいな感じのネーミングですね・・宿泊料金は、朝食つきで2300円/2人でした。ただ、このホテル、夜中の11時半頃、突然のノックに起こされて・・なんとポリスの検閲~何処から来たか?とかパスポート見せろ・・とか、さすが社会主義の国なんだなーっと、変な感心をさせられました。翌朝、フロアマネージャーに話すと「すみません、時々あることなんです」っということでした~
そのホテルのバスルーム、トイレの付属品です・・以前、ブログにも載せたことがある代物です。マレー系のホテルなら必需品ですが・・ベトナムでも見かけます。これはトイレットペーパーの代わりに厳かに使用するもの。答えはイスラム系ウオシュレット、右手で持って左手の使用が必須です。
フロントで呼んでもらったTAXIで空港まで10分、料金は5US$でした。
ホーチミン10:40分発のAirAsia・・な、なんとボーディングブリッジが接続されているではありませんか・・LCC(=格安航空)にはありえないことです。
近ごろ日本でも話題のLCCですが、通常、メインターミナルとは別棟の上等とは言えない専用ターミナルを使います。経費節減のためですが、その専用ターミナルなどのインフラ未整備の空港では、仕方なくメインとの共用になるのでは、と思いました。
ボーディングパスもご覧の通り・・普通のものでした。スーパーのレシート風に慣らされているので、同じエアーアジアでもリッチな感じ。待てよ、この分料金に上乗せされているのかも・・!?
ホーチミン空港の売店で買った水ボトル・・蓋に「Let's Pray for Japan」と印刷されていました。エアーアジアの機内でも、アテンダントのお姉さんが義捐金の募金箱を持って座席を回っていました。
世界の隅々で、日本のことを思ってくれていることに、少々の驚きと感謝の気持ちでいっぱいになりました・・
KKに近づくと、眼下に島影が現れた・・一昨年に訪れたラブアン島です。あの大戦中、500名の日本軍守備隊が全滅した島で、その中に親戚の人がいました。あの時、持ち合わせの「日本の煎餅」」を供えて、慰霊碑に合掌してきた思い出の島でもあります。
今回のぐるり旅のコースを地図上に記しました・・6月15日、KK発ペナン行きから始まった今回の旅は、6月30日夕刻、無事KK帰着にて終了となりました。
7月5日、日本に帰るまであと僅か、Gさんちにご厄介になりながら帰国の準備に取り掛かることになります。帰りたくないけど帰らなければならない日が迫っています・・2011年の旅日記(つづく)
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