11月27日(火)曇り。
昔、都城は薩摩の国。
きょうは宗家の鹿児島を目指した。
きょうは宗家の鹿児島を目指した。
その目的は西郷どん。
午前9時、
義弟宅を発ち、ここ桜島SAまで凡そ一時間。
義弟宅を発ち、ここ桜島SAまで凡そ一時間。
SAの裏手から噴煙あがる桜島が
どーん!と望める筈が、生憎の曇り空。
どーん!と望める筈が、生憎の曇り空。
その姿はぼんやり朧げだった。
カーナビの案内通り、西郷どんの生誕地に到着。
そこには立派な碑があった。
このあたり一帯は、下級武士の住居跡。
倒幕から明治維新に至る日本の夜明けに、
この一角から
多くの重要人物が輩出された。
この一角から
多くの重要人物が輩出された。
碑の直ぐ脇に“維新ふるさと館”があり、
3時間の優遇無料駐車券のお陰でゆっくり見学できた。
入口に維新の立役者がづらりと並んでいた。
薩摩藩が造った、日本初の洋式軍艦“昇平丸”
その船に掲げたのが日の丸。
以後、この旗が
日本国旗として世界に認知されることになる、
日本国旗として世界に認知されることになる、
との説明があった。
国家“君が代”も又、薩摩発祥だったとのこと。
その歌詞は薩摩琵琶の名曲の一節で、それに曲をつけた
のが、英国軍楽隊長のウイリアム・フェントンであったと。
薩摩は何もかも、当時の先端を走っていた。
薩摩は何もかも、当時の先端を走っていた。
島津斉彬は島津藩11代藩主。
早くから進んだ西洋の技術に関心を持ち、
富国強兵政策を推進。
反射炉や大砲、軍艦などの製造を行った。
鶴丸城内では電信の実験成功など、後の日本の
通信技術発展の礎を築いた。
上野の銅像とは、若干違う感じの西郷さん。
犬が大好きで、可愛がっていたのはツンと云う名の雌犬。
その他に、ウサギ狩りのため20頭余りを
飼っていたそうだ。
飼っていたそうだ。
幼馴染で無二の親友二人。
明治6年、征韓論の対立などにより
やがて袂を分かつことになる。
(PS:西郷どんの背が低いのは何故か!?)
明治6年、征韓論の対立などにより
やがて袂を分かつことになる。
(PS:西郷どんの背が低いのは何故か!?)
女性たちも又、その時代の薩摩を支えた。
生麦事件に端を発した“薩英戦争”
左の砲弾は英国軍艦のアームストロング砲のもの。
右は当時の薩摩軍の砲弾。
射程約4kmと1km、その差は一目瞭然。
これにより、攘夷から討幕へと藩意が変わっていく。
この3年後には、薩摩の若者たちが英国留学へ
旅立つことになる。
これにより、攘夷から討幕へと藩意が変わっていく。
この3年後には、薩摩の若者たちが英国留学へ
旅立つことになる。
維新ふるさと館前に架かる、南洲橋から見た桜島。
曇り空に、相変わらずの噴煙があがっていた。
鹿児島湾に流れる甲突川。
この図を見る限り、NHKドラマで“西郷どん”が
ウナギを捕えていたのは多分、この川。
甲突川散策で昼時が過ぎてしまった。
鹿児島中央駅まで歩き、地下街でランチ。
天ぷら蕎麦セット。
昼食後、コンビニコーヒーを手に暫しの休憩。
イチョウの葉が盛んに落下。
日向より薩摩の初冬はちょっと遅め、と感じた。
カーナビを城山展望台に設定。
鶴丸城の前を通りかかると、現在改修中の立て看板。
この眺望、半世紀前に新婚旅行で見たもの。
同じ眺めの筈だけど、前の記憶が余りにも遠すぎて。
野良が一匹、足元で一緒に眺めていた。
西南の役で、西郷軍最後の司令部があった洞穴。
意外に浅いものだった。
西郷どん終焉の地はこの近く。自刃にて命を絶つ。
これは薩摩名物、両棒餅(じゃんぼもち)
店内で賞味も、又お持ち帰りもOK.。
両棒が訛って「じゃんぼ」になったらしい。
上級武士の2本差しが由来と。
このダンゴ屋は磯庭園の近くにあった。
両棒が訛って「じゃんぼ」になったらしい。
上級武士の2本差しが由来と。
このダンゴ屋は磯庭園の近くにあった。
店の眼前の桜島。雲と噴煙が混ざり合っていた。
日向への帰路、温泉に浸かることになり
霧島の日当山(ひなたやま)温泉に立ち寄った。
源泉かけ流しの入泉料金は250円。
ご近所さんばかりの湯舟は“かごんま弁”のみ。
内容は理解不能だったけど、皆さん愛想よかった。
この宿、
素泊まり1800円・・温泉入り放題よ~と。
機会があったら、泊まってみようかな。
霧島の日当山(ひなたやま)温泉に立ち寄った。
源泉かけ流しの入泉料金は250円。
ご近所さんばかりの湯舟は“かごんま弁”のみ。
内容は理解不能だったけど、皆さん愛想よかった。
この宿、
素泊まり1800円・・温泉入り放題よ~と。
機会があったら、泊まってみようかな。
この湯の由来書きによると、
明治6年、大久保利通との政策論争に敗れた
西郷どんが、度々この地にきて
ウサギ狩りや釣り、さては温泉につかり
心を癒したとあった。
明治6年、大久保利通との政策論争に敗れた
西郷どんが、度々この地にきて
ウサギ狩りや釣り、さては温泉につかり
心を癒したとあった。
きょう一日、最初から最後まで西郷どんだった。
「敬天愛人」
西郷どんが好んで使い、揮毫したと云う。
「天を敬い人を愛する」
文字通り、幕末ー維新を駆け抜けた偉人の
生き方そのものと思う。
きょう手に入れた、関連書籍2冊。
「敬天愛人」
西郷どんが好んで使い、揮毫したと云う。
「天を敬い人を愛する」
文字通り、幕末ー維新を駆け抜けた偉人の
生き方そのものと思う。
きょう手に入れた、関連書籍2冊。
じっくり味わいながら、西郷どんを偲んで
みたいと思う。
2018年宮崎の旅(つづく)