3/29/2014

南米大陸へ(extension)

(Day_09 & Day_10)


3月20日(木)-21日(金)

最後の晩餐 in リマ、そして帰国の途へ。

さ~また、過酷な移動が始まる。と、南米大陸最後の夕食は日本食だった。リマ市内の、とある日本料理店の三品。寿司、うどん、とんかつ&エビフライ。この旅で最初で最後の日本食。夕食後、そのまま空港へ。20日午前2時発、トロント行きのエア・カナダに搭乗する。寿司、まあまあ。
 うどん、まあまあ。
 フライとご飯、まあまあだった。
「ここはペルー、欲は云えない」
今回の旅のベストショット!
たった一枚だけ選ぶとすると・・(沢山ありすぎて難しかったけど)
今までメディアでしか見たことのない、マチュピチュの絶景。この目でしっかり確かめた、この眺望写真に決めました。
・・で、実はここで、
今回の旅、完結の筈だったけど・・


(以下、急遽の拡大版)

3月28日(金)の夜のこと、放送されていたTV番組にふと気がついて、思わずデジカメのボタンを押していた^^;
その表題は、「インカ帝国は日本人が作った」
いくら娯楽番組(ちょっと真面目だった)でも・・そんなバカな~!
 第9代皇帝の末裔と云う人のコメント・・↓
 チチカカ湖は・・?
チチ(父)とカカ(母)から来ているのだとか・・え、えっ?!
太平洋岸のバチャカマック遺跡。
黒潮に乗って日本人がやってきた、っとのことだったが、何時、どうやって・・!?のコメントなし。
その遺跡から発掘のミイラのDNAとアジア人はそっくりと。
科学的根拠・・?ただし、ベーリング海を渡ったモンゴロイドは否定していたけど、これも・・??
相当長い番組だったけど、ま~ざっくりとこんな感じ。
で、早速!
サイディさんの本、隅から隅まで読みました。
(そんな記述、もちろんありっこないですね)

大航海時代、スペインによるインカ帝国侵入が1533年のこと。
その頃の日本と云えば、種子島に鉄砲伝来が1543年。桶狭間の戦いが1560年の戦国時代。
(以下、サイディさんの解説書から抜粋)
アンデス・インカの起源は、紀元前1万5千年まで遡る。紀元前1000年~紀元1000年頃の2000年間で、帝国の領土と文化的な広がりは膨大なものになっていく。そして、後期ホライゾン期~滅亡までの間、帝国は大いに繁栄した。
その源となったのは、
インカによって征服された人々は、何人たりとも奴隷化されたことはなく、そこでは、インカの政治と権力を受け入れて、新しい領土の一部となっていった。
とのことである。
(完)

3/28/2014

南米大陸へ(Day_08-b)

3月19日(水)
空からナスカ地上絵を観る。

リマからPan American Highwayを太平洋に沿って250kmほど南下すると、地上絵観光の拠点ピスコ空港に至る。
 ナスカ・フナマ平原の地上絵を見るには空からが一番ですね。
両方の窓側に6席づつ、定員12名のセスナに乗り込んだ。往復一時間現場で30分、合計一時間半のフライトだ。
 眼下に黒いセスナの機影が・・ブルーの機体はペルー空軍の軍用機かな。
 途中、雲の塊が多数出現、砂漠に黒い陰を落としていたのだが・・ポイント地点到着時には、真っ青の空が広がっていた。
 ペルー人の機長が、地上絵の上で旋回しながら、変な日本語で一所懸命に説明してくれた。
「アーッ!イダリ、イダリ~アネノシタ、アネノシター!アチドリ、アチドリー!」説明を解説すると「あ~っ!左、左~羽の下、羽の下ー!ハチドリ、ハチドリー!」っと、なります。
英語もスペイン語も「Hの音」が聞こえないことによるのですね。機上からは、思ったより小さく見えます。白い円内、岩肌に描かれた宇宙人。
↓この画像は宇宙人の実像です。
 飛行会社から貰った見物の順路図。
全部回ってくれた筈ですが、見逃したり撮影に失敗したり、総ての画像採集はできませんでした。
バカチョン・デジカメの悲しさで、解像度がイマイチですね。上の順路カードからイラストを抜粋し、トリミングした現物との比較のため添付した。<>内の数字は地上絵実物の最大長。<クジラ=63m>
 <さる=110m>
<宇宙人=32m> 
<コンドル=136m> 
<クモ=46m> 
 <いぬ=51m>
<ハチドリ=96m> 
<ツリー=70m> 
 <オウム=200m>
 <ハンド=45m>
この地上絵を「地上」で見ることも出来るんですね。
今年の一月まで、車で世界一周を目指した青年たちのブログに載っていました。

空港への途中、砂漠の真ん中にオアシスを見つけた。知る人ぞ知る、幻のワカチナ湖とのことです。地球上で一度は行ってみたい場所にランキングされているそうですが・・!?
拡大画像です。
さて、地上絵全部の撮影には至らなかったけど、
CERTIFICADO DE VUELO (=Flight Certificate)フライトの後、飛行証明書を貰いました。

(旅の終りに)
これで今回の旅の目的を完遂した。

ただ、あと2日間(Day_09~Day_10)
またまた難行苦行が待っている。3月20日(木)02:00に、リマ発ートロントー成田を経由、3月21日(金)18:05セントレア着にて旅が終了する。

阪急トラピックスでご一緒いただいた皆さまへ。
何ぶん遠く、辛い旅ではあったのですが「だけど行ってよかった~」と、今、憧れの地を制覇した満足感、達成感に浸っています。

楽しい想い出をありがとうございました。
一Q&エイコ@なごや
(InkyoGG)

南米大陸へ(Day_08-a)

3月19日(水)
リマ早朝発、ナスカ地上絵観光のピスコへ向け南下

ちょっと狭かったけど、リマのホテルをチェックアウト。
その中庭に、ふさふさのブーゲンビレア。キャンバス代わりの白壁に映えていた。
 ホテル前の通り、早朝とあって人通りなし。
新市街に位置するここは、閑静な住宅街といった雰囲気。
 市街地を通り抜け・・
間もなく現れたのは、丘にびっしりの住宅地。
ガイドさんの説明・・リマに3つの町あり。それは旧市街、新市街、それと不法市街だそうな。その3番目、丘陵地帯に雑然と犇めく“不法市街地”の住宅群が見えてきた。  
 南北アメリカ大陸を縦断する、パンアメリカンハイウェイを南へ南へとひた走る。若いころ、カナダ~アメリカでInterstate5(I-5)をぶっ飛ばしたのを思い出した。そうだ、これを北上すればアラスカまで行けるんだな、と。
 ペルーの太平洋岸は、どこまでも続く砂漠地帯だ。
その砂漠に竹を4本立てるとしよう~その竹に、ぐるりとヒモを回して5年間、じ~っと待つこと5年間。するとその土地は自分のものになるそうな!?その住宅地、ちょっと混みあってきた感じですが・・
ちょっと南下すると、まだまだ空きがありますね~ここも何時かは大混雑になるのかな。
 ピスコまでの中間地点、とある店で買いました~アルパカの靴下。
初めての高級靴下、履き心地は極めて良好なり!
 砂漠と太平洋が、並行してどこまでも続くペルー西海岸。
今から115年ほど前、ペルー移民の第一陣790名を乗せて横浜を出港した佐倉丸が、このあたりに到着したとのこと。その移民4世であるガイドの島袋さんが、ご先祖の苦労話をシミジミと語ってくれた。
 ナスカ観光の拠点、ピスコに到着。ランチのレストランの天井が何と竹細工。
 これ、カムカムジュース・・ここの名物らしい。
アセロラに似ている感じですが、NETで調べたら少々違いました。アセロラの原産地は
西インド諸島、カムカムはアマゾン川流域。カムカムの方が、ビタミンCの含有量がアセロラの2倍との記述があった。
こっちもインカ帝国の昔から、名物だったに違いない紫色のトウモロコシ。
さりげなくテーブルに置いてあり・・カリッと揚げた塩味で、ついつい手がでる一品だった。
レストラン前の海岸に、漁船がちょこちょこと浮いていた・・ 
ず~っと続く海岸線に、漁港などどこにも見当たらず。
 台風の無い国の常識なんだろな・・と、想像。
地上絵見物の空港は、直ぐそこ。
セスナの機上から眺める、ナスカ地上絵はどんなだろう~!?期待が膨らむフライトは次回、いよいよ最終章へ。
(つづく)

3/27/2014

南米大陸へ(Day_07-b)

3月18日(火)
ウルバンバを発ち、クスコ空港から首都リマへの移動日。

今朝の出発は、比較的遅めのAM9時。
で、余裕でホテル周辺の散策ができました。

宿泊地のウルバンバから、ひと山越えた峠の休憩ポイントにさしかかると、谷の向こうにアンデス山脈が聳え、雲の切れ目に雪渓が見えた。そして、この峠を渡る風も幾分冷たい感じだったですね。
広場の斜面で、ロバの親子がノンビリと草を食べていた。
その向こうはユーカリの林。「これ、防風林ですか」と、ガイドのサイディさんに尋ねると、建築材として出荷するために栽培しているのだそうだ。所謂、手間のかからない換金作物として、古来より伝統的に植林されてきたとのこと。
バスの車窓から羊の群れが見えた。
峠を下りると、そこはクスコの街だった。
「ペルー マチュピチュへの 誘い」と云う本を購入した。
実はこの本、我々をクスコとマチュピチュに案内してくれた2名のガイドさんの一人、サイディ(サイディ・マリア・ネグロン・ロメロ)さんの著作によるものなんですね。クスコの国立大・観光学部を卒業し、25年以上にわたってスペイン語は勿論、フランス語、
英語、そして日本語のオフィシャル観光ガイドとしても活躍中の才媛でした。そして、ガイドの傍らマチュピチュ遺跡の研究を重ねた成果を纏めたのが、この本。巻頭に彼女のプロファイルが記載されていました。
いつもニコニコ優しい女性で、たいへん奥ゆかしくこの本を自ら著したことを、最後の最後まで話しませんでした。もう一方のガイドさんが、この本を携えて史跡案内の参考にしていました。
で、ちょっとだけ本のことを紹介してくれたので「え~!」っと明らかになったわけですね。その内容は、マチュピチュの謎が観光客の視点に立って描かれています。また学術的にも深く考察されていて、ぱらぱらっと眺めただけでも嬉しくなるものです。
英語版ですが、amazonでも紹介されています。
白紙の部分にサインをしてくれました。ついでに彼女と記念の一枚!(お別れのクスコ空港にて)日本語が読めないそうなので・・以下、ご挨拶!
---------------------------------------------------------------------------
Hi ! Ms. Saydi,
We'd like to say many thanks for your heartful guided in the heritage, so we had a great experience on Machu Picchu where is the mystery place for us. even are really enjoying to read a book that you wrote it.
please say hello to ur co-guide.(sorry, missed his name)tks so much again and God bless !
InkyoGG.
------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
海抜3500mのクスコ空港。<ready to takeoff !>
ひとっ飛びにてリマ到着。
空港前の看板群に日の丸なし。あるのはハーウエイやサムソンばかり、あ~あっ!どうした、ニッポン!?
ペルーでお世話になった現地旅行社。
=コンドルトラベル=
click to: A must to see Cusco and Machu Picchu
ペルーの首都・リマ。
リマは旧市街、新市街、そして不法市街(?)から成っているそうです。
旧市街の中心地、アルマス広場。
威厳ある大聖堂など、スペイン時代のコロニアル建築が立ち並び世界遺産に登録されている歴史地区。
ポリスの4WDトラックが停まっていた。歴史との対照がおもしろかった。
市庁舎の前庭にも、花がいっぱいだ。
リマのウオーターフロント。夕日の中にパラグライダーが飛んでいた。
リマの若者に、超人気のデートスポットでもあるらしい。
あのガウディを模したオブジェがあった。
この雰囲気なら、夕食はシーフード?っと、思いきやザンネン、肉だった~!
次は、この旅の最終章・ナスカの地上絵を訪ねます。
(つづく)