7/06/2014

スリランカ南端へ

7月5日(土)。
スリランカ南端の町ゴール=GALLEへ行ってきた。
その前に、ホテルの朝食はきょうも外庭のガーデンテーブルにて。パリパリに焼いたベーコンが香ばしかった。
これは「お通じ」の特効薬?デザートのパパイヤです。これと一緒に調理すると肉が柔らかくなるそうだ。
ホテルで手配してもらったツーリストTAXIで、コロンボからインド洋西海岸に沿って一路南下した~
いくつもの町を通り抜けて・・
と、ドライバーのSくんが「ここボクのホームタウン」と・・。町の祭りのパレードとのこと。
途中、トイレ休憩。生搾りジュースで一服。
ドライバーのSくん。
この町も・・
この町も、ほんと賑やか~人が溢れてどこも活気あり~
・・と、幾つかの町を通り過ぎると、
あのスマトラ島沖地震の津波が、この集落あたりを襲い5万人の犠牲者が出たとのこと。その慰霊碑が建っていた。Sくんは、3万人が亡くなった東北地震にも言及し、心を痛めているようだった。
その慰霊碑の近くに、本願寺とスリランカの協力で建立された巨大な観音像があった。
これも津波犠牲者の慰霊のためです。
コロンボから約120kmゴール市内に入り、先ずランチ。
ツーリストタクシーのドライバーSくんは、右手の指だけで上手にカレーライスを平らげた。
カレーのトッピングに変なモノが入っていて・・
店員に聞くと、さっそく持ってきてくれたのが「なんかの実」
名前を教えてくれたけど、すぐ忘れてしまった^^;~
GALLE=ガレ、としか読めないけど、ゴール。
全く読めないけど、タミール語では「காலி」と書くらしい^^;~
現存する大航海時代の要塞の城壁では、ここが世界最長とのこと。
その遺跡の上で、一匹の猿がご飯を独り占めにしていた・・
この灯台はそんなに古いものではなかったが、要塞の中で違和感無く立っていた。
ここは砲台の跡、前方120度に照準できる半円形のレールが敷いてあった。
凡そ500年前、先ずポルトガルがこの地に侵入。
その後1640年にオランダが奪取。この要塞はオランダ時代に築かれ、ゴールはこの時代に大きく発展したという。1796年にイギリスがこの島の支配権を奪うと、この要塞に行政府を置いた。1873年8月、米欧を視察した岩倉使節団を乗せた船が帰途に寄港したと伝えられている。
こんなトカゲも現れた。
観光客が多数訪れる中、世界遺産の遺跡は今もしっかり自然が保たれている。
ゴールは日帰りの旅。
コロンボに帰って夕飯に町中へでた・・植木鉢に光が点って、いい感じのディスプレイ。
お、お、お~!SUKIYAだー!!
カレーの日々、何とかニッポンの味に会えるか~!?
入った店内で分かったのは、やっぱりカレー屋だったこと。
で、「日本からですか?」とオーナーが声をかけてきた。千葉県に5年間住んでいたと云う。どうりで日本語上手いはず~
メニューの中から一番辛くなさそうなものを頼んだ。けど、やっぱり辛かった。
カレーの日々、2014年スリランカの旅。
(つづく)

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