その前に、昨晩のこと夕飯を食べながらの民族舞踊の鑑賞へ行ってきました。昔の記憶では、この踊りを遺跡の中の特設舞台で観たような気がしますが・・今回はシェムレアプ市内のレストランが会場でした。
さて、アンコールワット見物の朝、TAXIのお兄ちゃん(名前はSaban)が予定時刻に迎えに来てくれました。宿泊ホテル"SONALONG BOUTIQUE VILLAGE & RESORT"前です。
道の反対側に雑貨屋があって、木陰でチェスらしきゲームをやっていました~王様や兵隊は分かったんですが・・ルールは理解不能~
その木陰を作っている大木がなんとナンヨウザクラ。とても甘くて美味しい~サクラの仲間ではないのにサクランボそっくりの実をつけるのがこの名の由来。地面に完熟の実がころがっているし、手を伸ばせばいくらでも食べれるのに、皆さん余り興味がなさそうな素振りでした。試しに幾つか採って頂きました~
アンコールワットの正面にやってきました・・運ちゃんのSabanは観光ガイドはしません。待ってるからゆっくり見物してきてください~ということで、入り口付近でチケットの検札がありました。写真右の派手な日傘が係員で・・
その一日観光チケットです・・アンコール遺跡群のあちこちで必要でした。チケットオフィスで一人20US$。カウンターのカメラの前に一人づつ立って写真入のパスを渡されました~Sabanの一日TAXIチャーターが40$だったので、それに比べると随分な値段ですね・・
回廊の壁面いっぱいに施された石の彫刻・・もの凄い費用と労力が掛かっただろうな~とただただ感心させられます。
この回廊で日本語ガイドが聞こえてきました・・近ツリのツアーで端っこでちょっと聞かせて貰いましたが・・ただ乗りはよろしくないですよね~^^;~
中央のパゴダに登りました・・一定数のローテーション制限をかけていました。多くが殺到するとちょっと危ない急階段でした~
クメール王朝の栄華を彷彿させる石彫の女神像ですね・・全て石で造られた遺跡ですが、近くでは産出されず、何十キロも先から全て運んできたのだそうです。運搬手段が人力のみの時代によくぞここまでやったものだ・・と感心あるのみ。
ちょっと残念なことですが・・日本人観光客にとってアンコール見物のハイライトでもある筈の墨の「落書き」が読めない程に汚されていました。
この落書きは寛永年間に日本の武士がしたためたものです。当時の日本人の間ではアンコールワットが祇園精舎であると伝えられていて、森本右近太夫なる武士も祇園精舎を参詣する目的でアンコールワットを訪れたわけです。当時、幕府はまだ鎖国をしておらず、朱印船貿易のついでに右近太夫と同様に祇園精舎と思い込んでアンコールワットに訪れた日本人がけっこういたそうで、これにはちょっと驚きですね。
「落書きの内容がNETにあったので下記に転載します」
寛永九年正月初而此所来
(寛永九年正月初めてここに来る)
生国日本/肥州之住人藤原之朝臣森本右近太夫/一房
(生国は日本。肥州の住人藤原朝臣森本右近太夫一房)
御堂心為千里之海上渡
(御堂を志し数千里の海上を渡り)
一念/之儀念生々世々娑婆寿生之思清者也為
(一念を念じ世々娑婆浮世の思いを清めるために)
其仏像四躰立奉者也
(こに仏四体を奉るものなり)
摂州津池田之住人森本儀太夫
寛永九年正月丗日
アンコールワットをYouTubeにしました。
~カンボジアの旅・・まだまだつづく~
0 件のコメント:
コメントを投稿