6/23/2015

2015年夏・沖縄の旅_07(沖縄の世界遺産)

6月23日(火)曇り。

きょうは沖縄にとっての終戦記念日。
この日、平和の礎(へいわのいしじ)のある糸満市・摩文仁の丘では、沖縄戦で犠牲となった
多くの人々の鎮魂と、戦争のない世界を願う慰霊祭が行われました。

食料と生活用品の補充のため、名護のホームセンターとファーマーズマートに行き、
昼食に寄ったのは道の駅・許田。
名護市許田を通り更に北上すると、そこは亜熱帯原生林の山原=ヤンバル。
昼時の道の駅は満車状態だった。これらの車の殆どはレンタカーナンバーの「わ」と「れ」
鉄道網のない沖縄の足は、やっぱり車と云うことになるようです。
あの、巨大ジンベイザメで有名な美ら海水族館のチケット/1850円が
ここの売店では1600円で購入可能。コンビニなどでも、同額割引料金で買うことが出来る。
英文併記は沖縄らしいね・・高速道の発券機も「Please Take a Ticket」っと喋ります。
天ぷら全品50円。
けど、ランチはパンとアイスコーヒー。
・・と、カレーライスを頼んだ。 
沖縄自動車道は那覇ー許田間を結ぶ沖縄唯一の高速道。
許田I Cは最北(終点)のインターチェンジ。

その許田から反転、一路南下しSさんが所長を務める県立公園に向かった。
で、忙しい中をあちこち案内していただきました。
公園内にある中城城跡は、古き琉球の息づかいを今に伝える歴史遺産。
2000年に、琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群として
ユネスコ・世界遺産に登録された。
 世界遺産、その標識。
中城は、首里王朝が成立する以前の、古琉球の城跡とのことです。
古琉球と呼称される時代は、14世紀前後の南山、中山、北山の三山時代から、
琉球王国として首里王朝に統一され、以後、17世紀に薩摩に侵略されるまでの
(沖縄の)歴史区分名とのこと。
1853年、アメリカ艦隊ペリー提督は、浦賀沖に現れる直前に 琉球に来航している。
そのペリーが、この城郭の石組技術を賞賛したとの史実が、艦隊の随行画家・ハイネの
描いた絵画とともに遺されているそうだ。
この優れた石組み技術は、時代が下り、本土の戦国時代に築城の石工集団が
登場する以前に遡るとのこと。
 で、この石組み「どこかで見たような気がする!?」と。
昨年、インカ帝国の首都・クスコで撮った石組み画像と比較してみると
石質こそ違うものの、鍵組みの形状が全く同じではないですか。
インカ帝国と琉球王朝、時代も凡そ一致しているようにも思う。
 この石畳、古(いにしえ)の時代そのままなのだろうか・・!?
 一角のソテツに、琉球を感じた。
 城郭の頂上に至り・・
 石垣に立ち下界を眺めると、中城湾から太平洋が広がる。遠くに知念半島を望む。
 散策路に沖縄特有のノアサガオが一輪。
暑い中の一回り・・暫しの休憩でひと息ついた。マンゴーアイスは濃厚な味。
で、沖縄の「さんぴん茶」も。
これ一週間飲んでたら、ウチナンチュの気分になってきた^^~ 
これはSさんの事務所。
実は、出来たばかりの県立公園。と、云うより只今整備の真っ最中とのこと。
それもその筈・・
カーナビに住所入れても、TEL番号入力しても「該当無し」だった。
事務所で、壮大な完成予想図を拝見!これが完成したらスゴイと思った。 
 と云うことで、
完成半ばの、真新しい遊戯器具が設置されているパートを順に見せてもらいました。
これはBBQ施設。周辺の芝生広場はキャンプスペースとのこと。
自前のテントを持参して、ファミリーキャンプでBBQ。沖縄ならではのライフスタイルを
楽しめそうですね。 
ヘルスコンシャスのスペース。
これ、足裏マッサージコーナー。歩くと激痛を覚悟しなければなりません。 
 背中をゴシゴシ・・
イボイボのチェア。 
 奥の斜面に子供の声が弾んでいた・・
 冒険心を誘う遊具。其々の器具には適応年齢が記されていた。
 日陰で休む大人を尻目に、子供達は大はしゃぎ。帰りの車では爆睡の予感。
未完成部分も多く、木陰もなし。
少ない予算をやり繰りし、あの壮大な完成予想図の完工を目指すのみ。
Sさんの仕事は未知なる冒険の連続かと。 子供たちの冒険心とともに。
Sさん、ご案内を頂きありがとうございました。
2015年夏・沖縄の旅(つづく)

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